2007年09月07日
米子プチ遠征(その1)
お休み2日目です。
昨夜、伯耆大山近くまで車で移動し、車内で6時間程仮眠して夜を明かしました。
このプチ遠征の目的は、3081レに運用入りした「EF64-54号機」を撮影することでした~!
54号機が活躍するのは1050号機が戻ってくるまでなので、そう長くはなさそうです。なので、すこしガソリン代を奮発して、米子まで来ちゃいました(笑)
午前5時半に車内で目を覚ましたら、外はまだ暗かった。暗すぎっ!!!
天気予報では晴れだったのに、外は小雨が降っていました。
分厚い雲のせいで、露出は皆無。シャッター速度1/2.5秒・・・。台風の影響でしょうか・・・。

▲EF64-54号機牽引3081レ
岸本~伯耆大山にて撮影。EF64-54号機の牽引する3081列車は定刻に通過。54号機は方転されていて、2エンド側を先頭に米子へ向かっていきました。
露出は少し明るくなったものの、シャッター速度わずか1/40秒でした。
結果はブレブレの撃沈・・・。流せばよかったな~。
その後、東山公園駅まで追いかけたものの、間に合わず、目の前で取り逃がしてしまい、ジ・エンド。
傷心(大謎)のまま、米子へ移動。

▲DE10-1049号機牽引 3081レ
米子(操)に到着すると、既に3081レからEF64-54号機は切り離されていました。
そして、米子の入換専用機のDE10-1049が連結され、3081レを貨車基地まで運びました。
ほんの数百メートルほどですが、本線上を入換え専用機のDE10-1049号機が走行しています。
つづく
昨夜、伯耆大山近くまで車で移動し、車内で6時間程仮眠して夜を明かしました。
このプチ遠征の目的は、3081レに運用入りした「EF64-54号機」を撮影することでした~!
54号機が活躍するのは1050号機が戻ってくるまでなので、そう長くはなさそうです。なので、すこしガソリン代を奮発して、米子まで来ちゃいました(笑)
午前5時半に車内で目を覚ましたら、外はまだ暗かった。暗すぎっ!!!
天気予報では晴れだったのに、外は小雨が降っていました。
分厚い雲のせいで、露出は皆無。シャッター速度1/2.5秒・・・。台風の影響でしょうか・・・。
▲EF64-54号機牽引3081レ
岸本~伯耆大山にて撮影。EF64-54号機の牽引する3081列車は定刻に通過。54号機は方転されていて、2エンド側を先頭に米子へ向かっていきました。
露出は少し明るくなったものの、シャッター速度わずか1/40秒でした。
結果はブレブレの撃沈・・・。流せばよかったな~。
その後、東山公園駅まで追いかけたものの、間に合わず、目の前で取り逃がしてしまい、ジ・エンド。
傷心(大謎)のまま、米子へ移動。
▲DE10-1049号機牽引 3081レ
米子(操)に到着すると、既に3081レからEF64-54号機は切り離されていました。
そして、米子の入換専用機のDE10-1049が連結され、3081レを貨車基地まで運びました。
ほんの数百メートルほどですが、本線上を入換え専用機のDE10-1049号機が走行しています。
つづく
Posted by ちいふ at 22:27│Comments(4)
│伯備線/貨物列車
この記事へのコメント
ち~ふ伯備大明神 さま
こんばんは~。ついに山陰側へ3081レ出撃ですね~。
ほんま54号機は方転してますね。貫通扉下の2エンド表記が妙に格好エエです。
1049号機、エエところで撮影されてますね。自分も何度かいきましたが、いずれも駐機位置が悪く撃沈でした。
54号機、来週あたりまでが勝負ですね!
こんばんは~。ついに山陰側へ3081レ出撃ですね~。
ほんま54号機は方転してますね。貫通扉下の2エンド表記が妙に格好エエです。
1049号機、エエところで撮影されてますね。自分も何度かいきましたが、いずれも駐機位置が悪く撃沈でした。
54号機、来週あたりまでが勝負ですね!
Posted by エム遊@まぶたが重い at 2007年09月07日 22:56
お仕事お疲れさまです。54号機は悔しいからリベしたいなあ。
さすがに米子まで行くのはしんどいので、昼運用に入るのを願うのみです。
さすがに米子まで行くのはしんどいので、昼運用に入るのを願うのみです。
Posted by ちーふ at 2007年09月08日 10:17
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
Posted by 大和島根 at 2008年10月20日 23:01
ハア? ( ゚Д゚)?
Posted by ちいふ at 2008年10月20日 23:07
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